鹿合舘跡

本丸、二の丸、物見台(出廓)部分からなり、それぞれが空堀や土塁によって区画され、自然地形を生かした堅固な山城です。領主は、康平年間(1058〜1065)安倍貞任の家臣の居城とも伝えられ、また天正年間(1573〜1592)柏山伊勢守明吉の家臣高橋盛富の居城とも伝えられています。

規模
標 高:273m・(館高80m)
廓規模:東西100m・南北200m
本丸廓:東西50m・南北70m
物見台:東西40m・南北30m
空堀跡:幅7〜8m・深さ8〜9m(薬研堀)
土塁跡:幅2.5m・高さ1m(盛土構築)