本丸、二の丸、物見台(出廓)部分からなり、それぞれが空堀や土塁によって区画され、自然地形を生かした堅固な山城です。領主は、康平年間(1058〜1065)安倍貞任の家臣の居城とも伝えられ、また天正年間(1573〜1592)柏山伊勢守明吉の家臣高橋盛富の居城とも伝えられています。