於呂閇志胆沢川神社

於呂閇志胆沢川神社

坂上田村麻呂が胆沢地方を平定した頃と同じくして、胆沢郡7郷には7つの延喜式内社と呼ばれる朝廷が認める祇官の奉幣する社がありました。その中の一つ、弘仁元年(810)嵯峨天皇の勧請による於呂閇志ノ神社は、別称「猿山の石倉寺」と称されてきました。明治40年には胆沢川神社と合祀されて「於呂閇志胆沢川神社」と改称、旧社である本社は「奥の宮」と呼ばれるようになりました。4月29日の例大祭には神社境内神域に咲くユキツバキの小枝を家に持ち帰り、水口にさして拝む習慣があります。