大堤

大堤

その昔から小山油地と前大畑の境をなす所は大堤と呼ばれていました。今でさえも堤防のこん跡がハッキリしている所があります。かんがい用水路のなかった昔に大きなため池がここに作られ、松の木沢を通じ一帯の稲作の水源となっていたのでした。この堤を築くための崩壊を防ぐためにたくさんの犬や猫や馬も生贄として生きたまま埋められ、このときの装具や甲胃なども埋められたことを今に伝えております。

大堤の人柱(伝説)

武士盛遠は、町人の娘と恋におち、娘は自害する。盛遠は武士を捨て、名を文覚と改め、みちのくに逃れてきて農業を始める。文覚は堤の築堤に情熱を傾けるが、二度も決壊し、地域の人々が人柱を主張するものの、文覚は、残酷なことをしなくとも堤はできると言って対立する。しかし、三度目の堤も決壊する。やがてまた、大堤の工事が始まり、人柱のことで文覚が悩んでいると、彼の前に人柱を申し出てきた娘が現れる。その娘は、文覚が結ばれなっかた昔の恋人そっくりであった。大堤は数百年経っても決壊せず、文覚は堤の上に碑を建てて、娘を供養したというのである。