寿安堰

寿安堰

江戸時代の初期、元和4年(1618)に伊達政宗の家臣だったキリシタン後藤寿庵の手によって開削された堰です。しかし、キリシタン弾圧のため、工事半ばでこの地を去りました。その後、千田佐馬親子や遠藤大学などによって引き継がれ、寛永8年(1631)に完成しました。この堰によって「アラビアの砂漠のような所」と言われた中位段丘の開発が可能となりました。