徳川家三代将軍家光は鎖国政策の一環として、全国に関所を設けたが、伊達藩では領分境目の28箇所に御番所を設けました。この地は、寛文3年(1663)に群方横目や足軽を配置して常時二人の役人が、交代で秋田への旅人や物資の流出の取り締まりをした御番所です。
この公園は、平成3年に市野々番所の様子をイメージして作られました。