安倍の道

「前9年の役」逃げる貞任を負ってきた源義家が『衣の館はほころびけり』と呼びかけると、貞任が『年を経し糸の乱れの苦しさに』と上の句を返したといいます。義家はその雅懐に感嘆し、つがえた矢をはずして馬を引き返したといいます。貞任は黄海柵から黒沢尻柵へ、最終的には、厨川の柵を目指して北走するのですが、その時の逃亡ルートが、「安倍の道」として伝わっており、衣川の安倍館から八幡神社、替馬檀を通り、蒼前神社で左に迂回して兎口柵を通り、大歩、小歩を経て胆沢川沿いに進み、鳥海の柵へと至るコースであります。